2023

2023-12 「私のゆめ」

    ゆめ小論文

    私は将来、生徒が安心して登校できるように一人ひとりの不安に寄り添い、心身の健康を支える養護教諭になりたい。
    幼い頃から人の助けをすることが好きで、人の役に立つ仕事に就きたいと考えていたが、本格的に養護教諭を目指すきっかけとなったのは、中学時代に出会った養護教諭に悩みを聞いてもらったことだ。気持ちの整理がつくまで通い続けた保健室で、私の気持ちを否定せず、いつもポジティブな考えを勧めてくれた。その会話の中で養護教諭は私に、「人を思いやる力がある」という一言をかけてくれた。その言葉を励みに、物事に対する考え方をプラス方向に考えられるようになった。あの時の養護教諭のように、私も生徒に寄り添い、自分の不安や悩みの解決を手助けできるようになりたいと考えている。
    そのために、中学校までは選手として活動していた陸上競技部を高校ではマネージャーとして活動した。私は陸上競技とマネージャーという役割を通して、選手との距離の取り方やマネージャーとして役割を果たすことの難しさを実感した。しかし、選手たちの心身の状態変化を常に観察、把握し、監督と同じ目線にたつことで、的確な指示を出せるようになり、養護教諭に必要な観察力と判断力、行動力を身につけることができた。また、どんなに辛いときも”笑顔”と”自信”をモットーに常に選手達に明るい言葉がけをしてきた。この経験を生かし、保健室に来た生徒たちが笑顔でたくましく生きていけるように、エネルギーを与えることができる養護教諭になりたいと考えている。
    この将来の夢を実現するために、いま自分がやらなければならないことは、専門知識を身につけること、これまで以上に困っている人に声をかけ、助力することである。そのため、大学で養護教諭の資格を取得し、ボランティア、障がい者との交流活動に積極的に参加し、様々な人とふれあうことで将来の夢を実現させたい。

    ゆめ設計図

    48年後65才・定年を迎えた後に、児童通学時の交通安全などのボランティアで地域貢献する。
    ・毎朝1時間以上運動しなるべく元気でストイックなおばあちゃんになる。
    33年後50才・怪我や大きな病気をせずに学校へ出勤し、時間のある限り生徒たちの良いところを見つけ積極的に伝えてあげる。
    ・私の母のように、自分の子どもが進みたい道を全力でサポートしてあげる。
    23年後40才・子どもがいて、辛いことも楽しいことも共有し、笑い合える暖かい家庭と仕事の両立を成功させる。
    ・生徒たちと学校行事を一緒に楽しみ、仕事を適切に行い、どこでもひっぱりだこな先生になる。
    13年後30才・応急処置はもちろん、担任の先生には相談しにくい話も安心して頼られる存在になる。
    ・仕事を互いに理解し助け合える男性と出会い、32才くらいまでに結婚、3人の子どもを出産する。
    5年後22才・大学卒業後、青森県内で就職、なんとか仕事を覚えるようにとにかく、がむしゃらに働く。
    ・たくさん献血し、医療に貢献。
    ・中高時代の友達と海外旅行に行く。
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